撮影:広河隆一(フォトジャーナリスト)

パレスチナの地にイスラエルが建国された1948年以来、祖国を追われ、レバノン国内の難民キャンプに避難を余儀なくされたパレスチナの子どもたち。今なお厳しい生活を強いられ、まともに教育も受けられない彼らに対して、私たちは彼らが自立できる日まで、一人ひとりの子どもの親として、物心両面から支える活動を、当運動を設立した1984年から続けています。

 

1982年にパレスチナ難民キャンプで起きたこと

地中海の東端に面した位置にある国、レバノン。その首都ベイルートのサブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプで、パレスチナ人にとって忘れることのできない出来事が1982年9月に起こりました。“サブラ・シャティーラの虐殺”と呼ばれるの大規模な虐殺事件において、イスラエル軍がキャンプを包囲する中、キリスト教右派の民兵が難民キャンプを襲い、3日3晩にわたってキャンプ内のパレスチナ難民を殺害し続けました。その犠牲者は1,800人以上にのぼるといわれています。

 

「パレスチナの子どもの里親運動」を始めた理由

1984年、フォトジャーナリストの広河隆一は、その事件を含め戦火のベイルートで取材していました。その時に彼はキャンプで犠牲者の遺児たちの救援運動をしているヘルワ・イスキャンダル氏という小学校教師の女性と出会いました。この女性に救援運動のセンターに案内され、「死んだ人のことを調べるのも大切かもしれないけど、残された子どもを支援するのはもっと大切なことじゃないかしら」と言われたそうです。

そして遺児のリストを渡され、この子たちに毎月仕送りをする支援運動を日本で起こしてほしいと頼まれました。それが「パレスチナの子どもの里親運動」(2012年までの名称は「パレスチナの子供の里親運動」)の出発点です。1984年9月、24名の里親からのスタートでした。ヘルワ氏は現地の市民団体“ベイト・アトファル・アッソムード”に所属していました。この団体が私たち「パレスチナの子どもの里親運動」が行う支援の窓口となっています。